2010年10月04日

ケースワークについて考える。

社会福祉に従事するものの使命。福祉を必要としている人と社会資源を結びつけること。
・・・といったことを習ったような気がする。遠い昔に。

児童福祉の世界で約8年、介護福祉の世界で約1年、いろんなケースを見てきました。

児童福祉の世界での私の使命は、児童福祉施設の職員として、子どものリソース(ストレングスとも言います。その子自身が持っているいい部分…といったイメージでしょうか)を見つけて伸ばすこと。そして、人生に意味があると気付いてもらうこと。でした。
その子の何が一番の課題なのか、課題を乗り越えるためにはどんな支援が必要なのか、どんな社会資源が必要なのかというビジョンがはっきりしていれば、どんなに子どもが課題から逃げようとして揺さぶりをかけてこようが、ケースワークの芯がぶれることはない。
私はそう信じて仕事をしてきました。
私のかつての仲間達も同じ思いだったはずです。

子どもに振り回されるのは、たいした苦労ではありません。振り回されてナンボですよ、あの世界。彼らのファンタジーにとことん付き合って、そこからプラスにもっていけるリソースを探す。そんくらいのこと、朝飯前でやれっつの。
ただねぇ、某主任と某園長のエゴに振り回された日には、マジで頭にきました。今でも怒ってしまうくらい。まぁ、あんなヤツらを相手に怒っても、自分を蔑むのと同じことなので、気にしないようにしてます。
いや、園長ともあろう人が、「自分は、子どもにいろんな経験をさせたいから」という気持ちだけで突っ走り、子どもがそれだけの刺激に耐えうるかどうかも吟味せずに見切り発車の支援ばっかりしてた日には、呆れてモノが言えませんでしたよ。結果、子どもの状態は(そして職員の精神衛生状態も)悪くなっていくだけでしたけどね。責任取れっつーの。


今は、介護福祉の世界にいます。私は、3部門を統括する部署にいるので、3部門の連携とか別の事業所との連携とか、何がうまくいっていて何がうまくいってないのかとか、いろんなことが見えてきます。

介護福祉の世界には、「介護支援専門員」という職業の人がいて、その人が利用者さんのケアプランを立てて(なるべく介護保険内に収まるように工夫します)、各事業所に仕事を割り振るような役目を担っています。
介護福祉の世界のケースワークを担っているのは介護支援専門員だと言っても過言ではないと思うのですが、いかんせん、介護福祉の世界はトーシロが多く、記録の整備も充実していないし(そのくせ、情報の公表には大金を払わせる)、向上心もまるでないので(向上心があって、勉強してる方もたくさんいますけど)、「・・・なんでそんなことで迷うの?」「どうしてこんな当たり前のことができないの?」と思うことが多々あります。

例えば、体に持病があるので食事に気をつけないといけないけれど、一人では食事制限ができないという利用者さんがいたとします。
利用者さんの課題は「食事の制限」で、課題をクリアするためには、配食サービスを利用するとか、訪問介護員に家事援助(食事作り)をしてもらうとか、いろんな社会資源が考えられるわけです。その中で、利用者さんに一番ぴったりくる社会資源は何なのかを利用者さんに提示して、利用者さんに納得して頂いて、やっとサービスの提供が開始されるはずなんですが。

とある介護支援専門員が、「利用者さんがこのように希望されているので」という理由で1ヶ月に何度もケアプランを変更するので、それを指摘しました。ケアプランを変更するたびに、こちらは人の割り振りを変えないといけない。「そんな一貫性のないケアプラン、何か意味があるんですか?介護保険を利用する必要があるんですか?」とお尋ねしたわけです
そしたら、「だって利用者さんがそうしたいって言うから…」って。
いや、だからね。
月の途中で、あなたの一存で変更可能なケアプランって、一体何なんですか?
利用者さんの課題がわかっていたら、「じゃあ、お好きなように利用してください」などというプランはありえないでしょう?

ちっ。これだから福祉のトーシロはダメなんだよ。

介護支援専門員って、縄張り意識だけは強い。「私のお客さんのケアプランなんだから、口出ししないでほしい」などと抜かす。
あなた一人で利用者の人生を背負えなんて、誰も言ってない。
どうして、周りにたくさんいる介護福祉従事者の手を借りようとしないんだろう?
福祉はチームワークが命なのになぁ。

まずは、情報の共有。
何が課題で、着地点はどこなのか。着地するためには、どんな支援が必要なのか。
それから、連携。
支援内容を一人だけわかってても、何の意味もない。
支援する側がその支援の意味を理解してこそ、サービスの質はあがる。
だから、一利用者さんが利用しているサービスの全貌を、サービスを提供している事業所全てが把握しておく必要があるだろうし、介護支援専門員はその元締めとしての役割を果たさなければいけない。
これだけのことがわかってたら、何もパニックになったり、「利用者さんに私は振り回されてるんです!」ってキレることもないじゃん(←今日、キレられた。失笑したよ、あたしゃ)。

は〜。こんな簡単なこともできんと、給料だけはよこせなどと抜かすおばちゃん根性に脱帽だ。



半分以上、グチになってしまいました。ふぅ・・・
posted by Deanna at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | Emotional Disturbed Children | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

Still Fighting It

 どこかの新聞記者さん,この記事を読んでいたら,ぜひとも記事にしてほしいことがあります。
 とある学校のトップが,子どもの人権を無視し,子どもの登校を拒否しているのです。一昔前に「登校拒否」という言葉をよく耳にする時代がありましたが,「受け入れ拒否」ですよ。いくら保守的な地域とはいえ,こんなことがまかり通っていいのでしょうか。学校が,受け入れの是非を判断する権限を持っているのでしょうか。
 全国的に,発達障害児を受け入れない学校が多いと聞いたことがあります。何のための特別支援教育なんでしょうか。「本校の先生たちは,まだ特別支援教育の学習が足りていないから」というのは,子どもを受け入れない理由になるんでしょうか。だったら,だったら,専門機関から講師を呼んででも勉強しなさいよ。そう思うのは私だけでしょうか。


 最近,私の数年間は何だったんだろうと考え込むことが多くあります。続ける価値のある何かがそこに存在すると信じて仕事をしてきたけれど,私は彼らの人生に意味があるということに気付いてもらえるような働きかけができたのだろうか,と。
 そして,それ以前に,仕事に行くたびに理由もなく浴びせかけられる罵詈雑言に,これ以上耐える意味があるんだろうか,と考え込むようになりました。
 まさか,仕事の相手から指摘されるとは思ってなかったけど,「先生,仕事に来て,毎日“死ね!”とか言われて,傷つかない?」と言われた時,初めて 自分が働いていた環境がいかに異常かを感じました。
 それでも私は漠然とした何かを信じて仕事してきたんだけどね。そこに在り続けることの意味をずっと考えてたんだけどね。なんか,いろいろ考えて実行に移しても,組織の壁に阻まれるっていうか。

・・・結論は出ないけど。
潮時なのかなぁ。


Everybody knows
It hurts to grow up
posted by Deanna at 23:52| Comment(3) | TrackBack(0) | Emotional Disturbed Children | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

特別な支援って何?

 私の専門は特別支援教育ではありません。が,仕事柄,特別支援教育について学ぶ機会が多くあります。
だいたい,発達障害の何たるかを何もわからずに教壇に立つ教諭が多いのが一番頭にくるわけです。いや,わからないならわからないで何か学ぼうとするならまだしも,向上心も何もなく,不用意な一言で子どもを傷つけておいて「自分の教育方針ですから」で片付けようとする。それがあなたの教育方針であっても,その伝え方や注意の与え方やタイミングを考えなさいと私は言いたい。
 特別支援教育について,その概論を読むだけでも,どこまで理想論を述べているのかしら?と首を傾げたくなる。その内容,現場の先生たちはきちんと理解されてるんですか?理解してたら,人前であんな失敗体験をさせるようなことはなかったでしょうけど。
 とにかく,怒りが収まらないのですよ。


 数日前,中学校時代の先輩にお会いしました。うちのラッパ吹きが,先輩から金管楽器を譲ってもらう約束を1年前にしてまして。ようやく会うことができて,楽器(ユーフォとボーン)を譲っていただきました。先輩とはうちのラッパ吹きと一緒にファミレスで会ったんだけど,楽器を手にしたラッパ吹きは ものすごくうれしかったようで,ファミレスの駐車場で楽器を吹き始める始末(午前1時)。あほだ。
まぁ,喜んでたからいいんだけど。
先輩は音楽家なんですが,いろんなところで演奏活動をしているそうです。老人ホームなんかにも行ったけど,音楽会で観客に音楽に触れてもらっても,その後のフォローがしっかりできないところが多いと嘆いてました。「音楽は楽しい」「自分も何か演奏したい」と思わせるだけ思わせておいて,「楽器がないから演奏はできない」って断って夢をぶち壊したりとか。そういう所にはもう行かないようにしてる,って。
 演奏家側にもそういう葛藤があったのかと改めて思った次第。
幸い,うちの職場は音楽愛好家と楽器が揃っていて,アマチュアながらもグループワークで音楽活動ができてます(多分)。すぐに達成感を得られないと飽きちゃうキッズが多いので,選曲とか活動方法とかかなり悩みます。
で,はじめの話に戻るけど。
教えるってかなり難しくて,相手に合わせて伝え方を考えなきゃいけないことがたくさんあると思う。万人向けの教え方なんかあるわけないじゃん。
教育のプロでも何でもない私が,こんな当たり前のことを知っているのに。なぜ現場の先生は気付かない?
うちのキッズに保護者の付き添いが必要だと言っておいて,付き添ったら「学校にあらわれた不審者」扱いするヒマがあったら,特別支援教育について1から勉強しなおせっての(怒)



そんなわけで,今日は久しぶりに専属ネイリストのところでペディキュアやってもらってきました。あー。いい気分転換になった黒ハート ネイリストからたくさん洋書ももらっちゃった黒ハート しばらくは本の虫になりそうだ(笑)。
posted by Deanna at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Emotional Disturbed Children | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

表面的なことじゃなくて

休みなのに頭の中は仕事中。
と言うのも,昨日 仕事中にちょっと気になる出来事が起こっちゃって。私は退勤時間だったから,指示を残して帰ってきました。でも,「なんであんな出来事が起こってしまったのか?」が気になって仕方なくて,家でずーっと考えこんでしまいました。

因果応報という言葉が示すように,何か原因があるから その出来事が起こってしまったわけでしょ?行動だけ見てもなんとなく予測はできる出来事ではあったけど,その出来事に至るまでにどんな思考が働いたのか,その出来事で何を周囲に伝えたかったのか,そこの仮説を考えて,検証してこそ,プロの仕事といえるのですよ(と私は思ってます)。
ところが。うちのセラピストさんは,どうもこの「仮説を立てる(見立てる)」作業が苦手らしくて,「昨日の出来事はなぜ起こったのか考えて」と宿題を出したところ,「単純に,そうしたかったからじゃ?」という回答が帰ってきました。
あほかー!
考えろ!
もっと考えろ!
そんなの答えになってない!
もう,そのセラピストに期待するのは諦めようと思いました。同業者なら,私がどんなに絶望してるかわかるよね?


私の仮説は,いつも頼りにしている同僚に話しました。で,アドバイスをもらいました。さすがです。的確です。



というわけで,今日はなぜか「涼宮ハルヒの憂鬱」を読んでいます。強制的に貸されたので(苦笑)。ヲタ系学園ドラマかと思っていたら,意外と宇宙な話なのでハマりかけてまぁす黒ハート
posted by Deanna at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | Emotional Disturbed Children | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月29日

破壊工作?サボタージュ?

今まで現実逃避してました。
映画もオケも全部 現実逃避。
今日のカンファで悪夢が現実になりました。
やっぱり逃げたくなりました。
何も考えられなくなりました。
「あなたが一番傷付いているのだから
何も考えなくていいんだよ」
と言われました。
私は今までずっと 私は傷付いていないと思っていました。
ずっと笑い飛ばしてきました。
やっぱりどこかで傷付いていたのかもしれないと
思いなおしました。
そしたら急に今までの疲れが
一気に押し寄せてきました。
どんな音楽を聴いても疲れが取れません。
私が受けた傷はここまで深かったのかと
今さらながら気付きました。
私の元を離れて一ヶ月以上。
それでも私を 私自身を破壊する。
どれだけ破壊すれば気がすむのか。
どれだけの破壊能力を持っているのか。
私には耐えられない。
ちっとも耐えていない私を
いつも支えてくれている職場の仲間に感謝。
posted by Deanna at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | Emotional Disturbed Children | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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