2015年11月25日
メンテナンス
2015年11月19日
いろいろあるある
いや、おそらく、こんなタイプの人が苦手じゃないよって人は少ないと思う。
先日も別に会議でもなんでもない時間に、自分の都合だけで(こちらの仕事の進捗状況などは一切考慮せず)、延々と話し続ける人に出会いました。
ほんと、勘弁してほしい・・・
ほら、2時間ドラマ(サスペンスとか刑事モノ)で、物語開始後1時間程度のところで“ホワイトボードを使った捜査会議”が始まりますよね。
あれって、ちょっと複雑化してきた登場人物の人間関係などを視聴者に再度確認してもらうっていう目的もあると思うの。「あ、そうなの?AさんはBさんを恨んでるのね!?」といったことを再確認。
あなた、2時間ドラマですら5分程度であらすじをまとめてくれるのに・・・
私自身も人に何かを伝えるのって苦手なほうですが、でも、人の都合を無視して延々と一方的に話し続けることは普通はないよなぁと思います。
せめて、要点を紙にまとめて、大事な情報、そうでもない情報、取捨選択するくらいのことをしてから、話しに来てね〜とお伝えしたい私なのでした。
2015年11月16日
季節性のもの
2015年11月01日
ちくごがわ
その後地元に戻ってきたのだけど、以前よりも地元に愛着を感じてしまうのは何故・・・?
そんな中、母校(小・中学校)の教養講座で『歌い継がれる筑後川』なんていうタイトルでの講演があるということだったので、甥が母校に通っているのをいいことに私も教養講座にこっそり潜入。
地元で“筑後川”といえば、あの悠々と流れる一級河川のことでもあり、地元を象徴する川でもあり、そして“合唱組曲筑後川”のことでもあります。その合唱組曲筑後川の誕生秘話について、母校のママコーラスの指導をされている先生(誕生秘話に関わった医師のご子息でもあられる)からお聞かせいただいたのでした。
詳細は省きますが、
地元を代表する大企業(タイヤの会社)が地元にすてきなホールを建てたことをきっかけに、地元に文化振興のための合唱団ができた。合唱団の指導をしていたのが医師でもあるH先生。
H先生は小さい頃から丸山豊氏とは仲良しだった。
丸山豊といえば、あなた、地元を代表する詩人です。で、医師でもあられる。
H先生が指導している合唱団の5周年記念演奏会のための合唱曲を作りたいという話になった。
H先生は懇意にしている丸山豊氏に作詞を依頼。
作曲は、タイヤの会社と姻戚関係にある團伊玖磨氏に依頼することに。
初演は團先生の指揮で行われたんですね、知らなかったけど。
丸山豊氏は「川の風景描写ではおもしろくない」とお考えになったとかで、上流から下流までを人生に例えたような5編の詩をお書きになった。
そしてその詩を受けて、團先生は「いつまでも歌い継がれる曲を作りたい」と言われ、小さな流れが大きな流れになっていく様を描写した音楽を作られた。
というお話でした。要約しまくり。
中学生の頃、ほとんど何も考えずに歌っていた曲なのですが、昨日の講演会で全曲改めて聴く機会に恵まれ、当時は気付かなかった音楽的なしかけ、詩に散りばめられた丸山豊氏の地元愛の深さに気付かされました。
この曲は、母校だけでなく、近年は地元の私立中学校でも歌われるようになっているのだそうです。
この曲に込められた想いと共に、地元に根付いていってほしい曲の1つです。

筑後川
2015年10月21日
2015年10月21日
2015年10月16日
Dark Knight
2015年10月14日
Stay weird
先日からハマりまくっている映画The Imitation Game.
あの映画の脚本を書いた脚本家さん、まだ30代前半なんですね。脚本家さんはずーっとAlan Turingを題材にした脚本を書きたいと思っていて、そして長年の夢が叶って彼の脚本が映画になって、そして賞も受賞した。
その時のスピーチがステキなんです。
I tried to commit suicide at 16 and now I'm standing here, I would like for this moment to be for kid out there who feels like she doesn't fit in anywhere. You do.
Stay weird. Stay different. And then when it's your turn and you are standing on this stage, please pass the same message along.
私は16歳の時に自殺しようとしたことがあります。でも今、私はここにいます。私はこの場を、どこにも居場所がないと感じている子どもたちに捧げたい。
どうか人とはちょっと違ったままでいてください。そしてあなたが輝ける場所に立った時に、同じメッセージを次の世代に伝えてください。
映画で描かれたアラン・チューリングは、頭が良すぎるが故に(そしておそらくはアスペルガー症候群的な要素を持っていたが故に)、なかなか自分が安心できる場所を見つけることができなかったようです。そしてアランは、国の法律によって、居場所を奪われてもいます。
脚本家さんは、アランほどの偉大な人物の居場所が奪われ、その反面、自分は賞を受賞してスピーチする機会を与えられていることを「不公平だ」と感じていたようでした。
私は職業柄、 居場所がないと感じている子どもたちの支援をする機会があります。以前も書いたような気がするけど、居場所がないと感じている子への支援って、結局「何かしてあげる」ことではなくて、「その子が安心できる場ってなんだろう?」と一緒に考えていくことなんじゃないかなと。
To doingではなくて、A way of beingなんじゃないかなぁ。
やたらめったら、「こんだけしてやってるのに!」って主張する人がいるけど、大事なのはそこじゃない。
そんなことを思い出したスピーチでした。