どんなに悪評が漂っていても、話題作には変わりなし。
仕事で観てきましたよん☆
ゲド戦記多島海世界“アースシー”では、西海域の果てに棲む竜が、突如、人間の住む東海域に現われ共食いを始めた。それに呼応して、世界ではさまざまな異変が起こり始める。世界の均衡が崩れつつあるのだった。偉大な魔法使い、大賢人ゲドは、災いの源を探る旅に出る。やがて彼は、心に闇を持つ少年、エンラッドの王子アレンと出会う。影におびえるアレンを伴い、旅を続けるゲドは、ホート・タウンの街はずれにある幼なじみテナーの家に身を寄せる。そこには親に捨てられた少女テルーも住んでいた。彼女は、自暴自棄になっているアレンを激しく嫌悪する…。
…思ってたよりも面白かったかも。と観終わった直後は感じたのですが、よくよく考えてみると So What!? と尋ねたくなる映画に変化してきた。これって、
「いいとこどりの、本質失い」的な映画なのかもしれない。
なんだ、アレンのその顔はーーー!!!とか、最後の方はクモ様が妖怪人間に見えてきたりとか(近くに座っていた子どもが恐さのあまり泣いていた)、ジブリにしては ちーっと絵が雑になっとりませんかぁ?とか。いや、そもそも 何故 アレンは父を殺したんですか?
一番の致命傷は、
スクリプトが悪いってことではないでしょうかね。伝えたいメッセージを、そのままキャラに喋らせてしまってる。アホかー!!
いいですか、古今東西 ファンタジー小説は数多くありますし、その大半に「大賢人」だの「偉大なる魔法使い」だのと称されているキャラクターが登場してますよ。でも あなた、ミスランディア(ガンダルフ@ The Lord of the Rings)やダンブルドア(@ Harry Potter)やアスラン(@ Chronicles of Narnia)が現在の世界情勢について物語の中でペラペラと解説しますか?どのキャラクターも謎めいた言い方でもって より良い方向に民を導こうとしているではありませんか。「絶対 こうしなさい!」みたいな言い方はしないし、他の登場人物 ひいては観客が自ら悟れるように手助けしているだけですよね。
で、ゲドは本当に大賢人なのですか? 世界の均衡が壊れてる− だから?ゲドさん、あなたの一人よがりなお話なんですかいなぁ?だいたい邦題が『ゲド戦記』なもんだから、ゲド中心のお話かという先入観すら抱いてしまいますね。原題は全く違いますけれど。
こてんぱんに私も酷評してますが、興味深い部分もいくつかありました。まったく映画には活かされてませんけれど。
かつて竜と人はひとつだった。物を選んだ人と、風と空を選んだ竜とは それ以来 会いまみえていない−…って、それって 人の物欲を何気に風刺しているわけですよね?
闇は光を理解することはなかったみたいなセリフがところどころ出てきてましたが、それって聖書のどこかの箇所じゃないですかね?
西洋世界のキリスト教文化やユング心理学を理解してないと、難しすぎる題材なのではないかしらね。なにせ、『戦記』とか言いながら、他人や他国と戦うわけではなくて
自分自身の弱さとどう向き合うかがテーマなんですから。
ヤバいことに、この映画の音楽 −ところどころに入っているバグパイプ風の音色− にうっとりしてしまいまして。あんまりセリフのない映画だと思って音楽に集中していたら、いきなりゲドが解説を始めて話が展開していく…というわけのわからない展開ではありましたが、音楽は嫌いではありません。先日から書いているように、
『テルーの唄』も好きなんです。でも、
あの場面で歌う必要性があったのかは疑問。そんなこんなで、この夏 人と竜が一つになれたのかどうか、疑問ばかりが残る終戦記念日でした。