2016年08月11日

テレパスというかエムパスというか。

褒められて嬉しくない人はいないと思う。
私も褒められたり認められたりしたら嬉しくなる。だけどその嬉しいという感情を表出することができない。


約1ヶ月前、仕事上のアイデンティティを壊されるような出来事があった。私はとても腹立たしくなって、私をその仕事から解任しろと上司に迫った。
その時、判断を先延ばしにしようとした上司に、今すぐ結論を出せとまで言った。
私はあの時の自分の判断が間違っているとは思ってない。
だけど、私のアイデンティティを全否定したという事実を上司に認めさせないことには気がすまない。

この1ヶ月、自己否定と自己肯定の間でひたすら揺れ動いていた。
もう限界だった。
上司をつかまえて、言いたいことを言いたい放題言った。
「自分から解任を申し出たでしょう?」「あなたはきちんと理論立てて自分の考えを説明してたし、一時の感情で話してるようには見えなかったけど…」
上司からはそう言われた。

あなたは私のことを何も理解していない。
自分が一番大切にしているものを全否定された時にどうやって自分を守ろうとするか、あなたはわからないんですか?
あの時私はとても怒っていたし、それと同時に否定されて崩壊しかけている自分のアイデンティティを守るために理論武装をしたんです。
それを見抜けないなんて、あなたのアセスメント不足としか言いようがありません。

上司は「アセスメント不足ねぇ…」と言ってしばらく黙り込んでしまった。
そして「そこまでの思いをかかえて、よく黙って仕事を続けてたね」と。
別に黙って仕事を続けていたわけではない。なんとなく出勤したら、目の前に仕事が山積みになっているから仕方なく・なんとなく片付けていただけだ。
この1ヶ月、上司からは何ひとつ認めてもらってないと思っていたので、あぁ、なんだ、見てないようで見てたんだ…とは思った。


元上司は、私が言ってほしいタイミングで直接的な褒め言葉を言ってくれる人だった。褒められても私は素直には喜ばなかったが、認めてくれる上司がそばにいるだけで励みになった。
元上司は、私が決して素直に喜ばないことに気付いていて、「おまえはなぜそうやって周りにバリアをはって、虚勢をはって生きているのか」と言ってきたことがある。
私はそう簡単にはシールドを下ろさない。
シールドを下ろすと、外界と自分の境界が曖昧になり、曖昧になるとソーシャルワーカーとしてのアンテナの感度が鈍るような気がするからだ。
「ソーシャルワーカーの自分」ではない時はだいたい一人で過ごすことが多いので、虚勢をはる必要もなければシールドを上げ下げすることもない。
そんな自分にも疲れてきたら、誰からも追いかけられないところ(例えば海外)まで逃げる。
誰かに必要とされてるんだなと思えるようになれば帰国するし、そうでないなら読書をして誰かの人生の中に潜り込む。
私は今後も決して誰かに素の自分を見せないだろうし、素の自分に戻りたければ一人になることを選ぶだろう。

話が逸れてしまったが、元上司は言わなくても私の感情をなんとなく感じ取っていたようで、私が静かに怒っていたとしても怒りが頂点に達する前になだめすかしてくれていたし、泣きそうになっていればなんとなく気を遣って笑わせてくれていた。
彼は私の感情を読める人だった。
決して今の上司が悪いわけではない。同じ職場になって数ヶ月程度で理解しあえるはずもない。私自身も今の上司のやり方に慣れるべきなんだろうと思う。
だけど元上司のようには甘えきれない。シールドも下ろせない。私の中に侵入してきていいとは言えない。安心できない。
何がどう違うのかはわからない。
たぶん、アンテナの周波数が違うだけ。




そうそう、今日の昼過ぎ、なぜか小学生の頃の担任の先生のことを思い出していた。その先生はオケ仲間でもあるK子ちゃんの恩師でもあり、私とK子ちゃんはいつも「一緒に先生に会いに行きたいねー」と話していた。
そうしたら今日の夜、K子ちゃんから連絡が来て、「来週、一緒に会いに行かない?」と言うから、もうびっくり。
テレパスか⁉︎

偶然だか運命だかわからないけど、こういうことが時々ある。
なんとなく考えてたことが形になって目の前に現れたり、誰かのことを考えていたら相手から不意に連絡が来たり。
なんのパワーなんだろうか…
posted by Deanna at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | Deanna's Log | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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